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「逆境の中で輝く顔」(礼拝メッセージ)

使徒の働き6章8節から15節
6:8 さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。
6:9 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。
6:10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。
6:11 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒?することばを語るのを聞いた」と言わせた。
6:12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
6:13 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。
6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」
6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。

父・キリスト・聖霊である主をほめたたます。
ふたつの台風によって被害が出たところもありました。
台風の被害が無くても、気圧変化、低気圧は私の体にとっては体調不良を招きます。
またじめじめの梅雨の天気、カビやダニでアレルギーを起こす人もいらっしゃいます。
神様から愛されているお一人お一人お元気でいらっしゃいますか。
台風の被害に遭われて悲嘆にくれ、慰めの必要な方、お元気がない方の上に。
父・御子・聖霊なるお方が豊かに臨まれ、励ましてくだいますように。
さて、先ほど救いのお証しいただきました。
お一人お一人、それぞれに違った神様との出会いがあり、お取り扱いがあることです。
それをお聞きして、神様の恵み覚えることができる、それは幸いなことです。
落ち着いた笑顔での証し、神様にあって感謝いたします。

ところで、私たちの顔の表情ということ。
それは私たち人の心模様を映し出します。
私たちの驚き、恐怖、怒り、喜び、悲しみ、嫌悪、心の状態が顔に表れます。
いつも笑顔でいられたら良いのですが。
私たちの日常の歩み、いろんなことが起こります。
そんな中で、怒りや理不尽さで、顔が引きつる、険しい表情になる。
そうしたこともあることでしょう。
誰か人から不当な扱いをされる。
自分がやっていない過ちを自分のせいされる。
良かれと思ってやった親切が誤解され、冷たいことばを浴びせられる。
たとえば、そんなとき、私たちには怒りが湧いてきます。
私たち、鏡を見なくても怒り、不満などが顔で出ていることが分かるものです。
私たちは、置かれた環境や周りの人の態度に、自分の顔の表情を支配されてしまいます。
しかし、今日の聖書に登場するステパノは、私たちが経験するよりもはるかに理不尽で、命の危険さえある最悪の裁判席に立たされていました。
それなのに、彼の顔は怒りで真っ赤になることも、恐怖で青ざめることもなく、まるで御使いの顔のようであったと聖書は記しています。
なぜステパノは、最悪の環境の中で、最高の輝きを放つことができたのでしょうか。
今日は、逆境の中で彼が輝き続けた、その秘密を使徒の働きから共に考えてみましょう。

<恵みと力に満ちていたステパノ>

6:8 さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。

ステパノは、教会で食糧の配給のいわば裏方の奉仕のため選ばれた人でした。
聖霊が降られて生まれたエルサレムの教会は、信徒がどんどん増えて行きました。
人が多く集いますと問題も起こってきます。
ギリシア語で話す未亡人たちへの食糧配給が疎かになる問題が起きました。
そこで使徒たちは、教会の実務を任せる7人の奉仕者を選ぶことにします。
その筆頭として紹介されているのがステパノです。
彼は食糧を配給という大変で地味な教会の奉仕に信仰と知恵を持って臨む人でした。
前の5節には彼のことを「信仰と聖霊に満ちた人」と記しています。
そして、この8節には「恵みと力に満ちた人」とあります。
彼は神様の恵みによって、素晴らしい宣教の働きに押し出されていきました。

<理不尽な裁判>

6:9 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。
6:10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。

リベルテンとは各国に分散したユダヤ人の子孫、外国出身のユダヤ人のことです。
その中で、エルサレムに移り住み熱心に律法を学ぶ人たち。
後の宣教師パウロとなるサウロもそんな人たちの一人ですが。
神様に用いられるステパノを妬んだ彼らは、論争を挑んできます。
しかし、聖霊の知恵を宿したステパノに、彼らの人間の知恵では太刀打ちできません。

すると彼らは、恐ろしく卑劣な手段に出ました。

6:11 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒涜することばを語るのを聞いた」と言わせた。
6:12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
6:13 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。
6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」

彼らはデマを流し、ステパノが「モーセと神様を冒涜した」の嘘の証言を用意しました。
そして彼らは、ステパノを逮捕させました。
こうしてステパノは大きな試練に立たされます。
最高法院、そこに集う人たちは、イエスを罠に落とし、冤罪を負わせた人たち。
彼らは、ステパノを敵視し、憎しみの視線を向けています。
ステパノは今、おそらくは彼の人生最大の激しい逆境の中に立たされていました。

<御使いの顔>

逆境の中でのステパノは、どうであったか。
6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。
なぜ彼は、「御使いの顔」になれたことでしょうか。
人間的に見れば、恐怖で青ざめるか、怒りで真っ赤になるそんな状況です。
あなたはどう思われますか、私、その訳をあげてみます。
彼の心の視線は、自分に敵対する人たちはなく、天、父なる神様に向いていたから。
心の中は内に住まわれる聖霊に満たされていたから。
神様への信頼に満たされていたので、外側からの嵐が彼の心を乱すことはなかった。
また主イエスと同じ苦しみにあずかっていたからでしょう。
彼の心は、孤立せず、彼の傍らに主イエスがおられることを確信し、覚えていたから。
彼は神様との深い交わりの中で、神様の栄光を鏡のように反射していた。
そうしたことであったことでしょう。

<私たちの日常で神様を見上げる>

ステパノのことをともに考えてみました。
私たちの日常、もしかしたら理不尽な「裁判席」のような場面があるかもしれません。
人と人との関わりの中で。
誰も自分の大変さを分かってくれない、とげのある言葉を浴びる、孤立感を味わう。
そんな時、私たちはつい、自分を責める人や、冷たい環境ばかりに心が向いてしまう。
そうすると心も顔も暗くなってしまいます。
そんな逆境がやって来たら、ステパノを思い出してください。
相手を睨み返すのではなく、問題ばかりを見つめるのでもなく、心の中で、父なる神様を、主イエスを見上げるのです。
「主よ。私、この理不尽な状況の中にいますが、あなたが私を愛し、私とともにおられることを信じます。」そう祈ってみましょう。
目を留めるべきは、敵対する人ではなく天におられる主、ともにおられる主イエスです。
その時、聖霊なるお方があなたの心に天の平安を注ぎ、あなたの表情を、言葉を、静かに変えてくださいます。
またステパノが「御使いの顔」になれたのは、彼が特別だったからではありません。
彼は食糧を配給という地味な教会の奉仕に信仰と知恵を持って臨む人でした。、
その日常の忠実さの積み重ねが、人生最大の危機の中で「御使いの顔」となったのです。
私たちの毎日も、地味なことの連続、誰にもほめてもらえていないかもしれません。
毎日の家事、育児や介護、仕事、終りない事務、表でなく裏方のいろんな役割や働き。
しかし、その小さな日常を主のために、聖霊に導かれて行うこと。
そこから、私たちの逆境の中さえも、平安のある、顔の輝きはつくれていくことです。
神様はあなたの、その姿を美しく輝かせてくださいます。

ご一緒に6章15節をおよみしましょう。

6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。(使徒6:15)

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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