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「荒野での福音」(礼拝メッセージ)

主の御名を賛美いたします。
本格的な夏に向かっていますが、神様から愛されている皆様いかがお過ごしでしょうか。
こうしてともに父・キリスト・聖霊である神様に礼拝する時を持てまして感謝です。
今日の私のメッセージ、使徒の働きの8章後半から「荒野での福音」という題です。
私、先週は同じ使徒から「赦しの福音」の題でステパノの殉教を中心に語りました。
罪人であった私たち人が先に神様に赦されたという赦しの福音に自ら生きたステパノ。
そこから私たちも人を赦すことができるようにというメッセージでした。
そしてステパノの殉教のその日、エルサレムに誕生した教会への激しい迫害を起こった。
多くの信徒が各地に散らされますが、その人たちがキリストの福音を伝えていった。
そこには神様の確かなご計画があったことも見ました。
今日は、それに関係して続く記事、ピリポの福音伝道の働きを取り上げます。
そのピリポは、使徒のピリポと名前が同じですが別の人です。
ステパノと同じくエルサレムの教会の食糧配給の事務奉仕に携わった7人のうちの一人。
やはり信仰と聖霊に満ちた人。
ユダヤ人ですが外国の出身者で、ギリシア文化を知りギリシア語を知るヘレニスト。
ユダヤの最高議会は特にヘレニストの信徒に特に目をつけたようです。
ピリポはユダヤ人が忌み嫌うサマリア人の住むサマリアへ逃れ、大胆に福音を語ります。
また聖霊に満たされた彼は、福音の証しとしていやしの賜物を持って人々を癒しました。
そしてサマリア人の人たちの中でイエスをキリストとして信じ救われる人たちが出ます。
エルサレムで踏ん張る使徒のうちペテロとヨハネがサマリアを訪れ確認をします。
福音はサマリア人にも及び、同じく信仰者となるのだと改めて知った使徒たちでした。
そして今日、司会者が読んでくださった8章の記事になります。
ピリポは、エチオピア人にイエスの福音を伝えることになるのです。
今日、その記事から「荒野での福音」の題でご一緒に覚えたいこと。
それは人として荒野を歩まれたイエスは、私たちの人生の荒野で福音の救いをくださる。
私たちはいただいた福音を喜び、拡げていこう。
そうしたことですが、まずは記事を少し追ってみましょう。

8:26 さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。
8:27 そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
8:28 帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。

天使によってエルサレムから地中海沿岸のガザに下る道に出かけたピリポ
彼はその道を通るエチオピア人の女王に仕えるエチオピア人の高官、宦官を見ます。
さらに聖霊に示されてその馬車に近づきます。
聖霊は人の知恵や思いを超えて、新たな世界に向けての伝道へと導くのです。
エチオピア人とありますが、エチオピアとは「日に焼けた黒い顔の人」という意味です。
ナイル川の上流、エジプトの南は、クシュまたはメロエと呼ばれる王国がありました。
女王カンダケの「カンダケ」は名前ではなく女王としての称号です。
ともあれ、その全財産を管理する人ですから最高位の官僚です。
当時、エジプトはローマ帝国領でしたが、クシュはローマと友好関係にありました。

8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。
8:31 するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
8:32 彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。
8:33 彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。

エチオピア人の高官はイザヤ書を読んでおりました。
当時、旧約聖書のギリシア語翻訳の写本が、ローマ帝国と周辺諸国に拡がっていました。
その高官の声を聞いたピリポは勇気を出して問いかけました。
高官が読んでいたイザヤ書の個所は、ちょうどキリストの受難を預言する箇所でした。
ピリポは、そこからイエスの十字架と復活の福音をこの人に伝えたのです。

8:36 道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
8:38 そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。

福音を聞き、イエス・キリストを信じたこの高官は、ピリポに洗礼を求めます。
そしてピリポはこの人の要望に応え、躊躇せずに洗練を授けました。

8:39 二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
8:40 それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。
聖霊に導かれたピリポは、この人と別れ、沿岸の町々でイエスの福音を伝えます。

ここまでご一緒に記事を見てみました。
この記事をこの場所となった「荒野」という視点からさらに考えてみましょう。

8:26 さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。

ピリポはエルサレムからガザへ下る寂しく、険しい荒野の道に遣われたことです。
エチオピア人の高官は宦官でありました。
宦官という文化は日本にはありませんが、去勢された官僚のことです。
王家の血統を守り、王宮の性的なトラブルを防ぐためでした。
エルサレムを訪れ、下ったきた彼は、主である神様を信じ、聖書を読む人でありました。
しかし彼のような体では律法で「主の集会には加わってはならない」とされていました。
それに彼は異邦人、神殿の異邦人の庭、そこで礼拝がやっとでありましたでしょう。
そうしたことでの母国に向かって帰る途中です。
神様の祝福から遠いと思い、寂しい思いがあったでしょう。
その心境は、彼が通った寂しくて険しい荒野が象徴しているように思えます。
しかし、主はこの一人の宦官に目を留められました。
そして彼を神様の祝福に導くためピリポを遣わされました。
それはイエスがお話しになった「見失った羊のたとえ」に重なります。
主は、一匹の見失った羊を見つけるまで探し回るお方なのです。
聖霊は、イエスと一つ、一匹の羊を求めて、神様はピリポを遣わされたのです。
そして宦官が朗読していたのは、イザヤ書53章です。
そこでは屠り場に引かれて行っても口を開かない羊のような救い主が預言されています。
主イエスは十字架に引かれていっても、口を開かず、殺されるにまかせられました。
そんな救い主が本当に現れるなどと誰が信じたことでしょうか。
主が歩まれた道は誰も避けたがる、いわば寂しく険しい「荒野」であったことでした。
そして、主は寂しく険しい「荒野」、その道で悩む人に出会われることです。
「こんな私など、神様に救われるはずがない」と思っている人をお救いくださいます。
32節と33節をご一緒にお読みしましょう。

8:32 彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。
8:33 彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」

私事ですが先週は病院へ4回、見舞い1回、自身の治療に3回、病気とお付き合いです。
私たちの人生の歩み、いろんな時があり、いろんなことがあります。
誰しも、それぞれの荒野があり、生き生きできず生きてゆくのがしんどい時もあります。
どうにも動きがとれずにやるせないことも、「こんな私が」と自分が嫌になることも。
けれども人として荒野を歩んでくださった主イエスは、私たちの人生の荒野で出会い福音による救いを与えてくださいます。
この福音を喜び、聖霊に導かれて、拡げていく私たちとさせていただきましょう。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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