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「赦しの福音」(礼拝メッセージ)

使徒の働き7章55節~8章4節
7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。
8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。
8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。

先ほど「暗闇の中のイエスさま」の中のメッセージをともにしました。
最後に読まれた聖書の個所、宣教師パウロによるローマ人への手紙5章8節。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
パウロは確信を込めてこう記しています。
ここには、聖書の、私たちが信じるキリストの福音、良い知らせの土台があります。
神様の愛は、私たちが立派な人間になったから与えられるものではありません。
神様を無視し、神様に背く的外れな罪に生き、神様の敵であった「まさにその時」に。
主イエス・キリストが私の、私たちの身代わりに十字架で死んでくださった。
これこそが、聖書が語る「赦し、圧倒的な赦し」です。
私、先週は使徒6章から「逆境の中で輝く顔」という題でステパノを取り上げました。
彼もまた「罪人であったとき、先に赦された」という福音の衝撃に心を刺された人。
そしてイエスをキリストとして信じ、聖聖に満たされた人です。
7章でステパノは、自分を殺そうとする敵をその最中に赦します。
司会者が読んでくださった使徒の働き7章の終りと8章の前半。
そこには殉教するステパノと迫害者サウロ、後のパウロの行動が記されています。
またクリスチャンを迫害する人たちと迫害されるクリスチャンの姿が記されています。
この記事を手掛かりとし、私たちが今日、繰り返し心に留めさせていだきたいこと。
それは、「赦しの福音」ということです。
それでは、まず記事を追ってみましょう。

<天を見上げる信仰>

7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。

ここには、ステパノの天を見上げる信仰があります。
律法への反逆として最高法院の被告として立ちつつ、聖霊に導かれて証言するステパノ。
彼はギリシア語に堪能で教会の食糧の配給の奉仕を務めた人で知恵に満ちていました。
彼自身ユダヤ人、神の民イスラエルですが、その神様に逆らってきた歴史を語ります。
ステパノは自分自身のこととしてそれを語り、罪の赦しのキリストを示したのです。
それを聞いた彼を裁く側の最高法院の人々は、神様に悔い改めず、逆上しました。
神の民であることを誇りとしてきた人たち、そしてイエスに罪を着せた人たち。
はらわたが煮え返る思いとなり、彼に殺意を向け、彼を断罪します。
しかし、ステパノは絶体絶命の状況の中、その人たちの顔を見てはおりませんでした。
彼は天を見上げ、父なる神様の栄光と、主イエスを見上げておりました。

<十字架を写し出す赦しの祈り>

7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。

ここには、主イエスの十字架を写し出す祈りがあります。
人々は耳をふさぎ、ステパノを街の外へ引きずり出して石を投げつけました。
その暴力の嵐の中で、上着を預かり、処刑に賛成していたのが青年サウロでした。
彼はステパノのようにギリシアが堪能な外国生まれのユダヤ人。
エルサレムで人々の尊敬を集めるガマリエルの門下生で律法を熱心に学んでいた人です。
キリストをどう見るか以外は、サウロとステパノには共通した点も多い人と思われます。
ステパノが肉体を引き裂く石の激痛の中で、最期に放った言葉は、呪いや怒りではなく、ひざまずいての大声の叫び、祈りでした。
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」
十字架の上で主イエスが「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた姿と重なります。
ステパノは、自身が罪人であったとき、キリストによって一方的に罪を赦されていた。
それゆえに自分を殺そうとする敵をも憐れみ、その罪の赦しを祈ることができました。
彼はこの言葉を最後に、悲惨な死を迎えたのではなく、「眠りについた」のです。
主イエスに安心して自らの霊をお渡ししたのです。
これこそが「赦しの福音」の力です。
キリストの福音とは、単に頭で理解するキリスト教会の教理というものではありません。
自分を害する者をも愛の眼差しで見つめる力へと、私たち人間を変革するものなのです。

<神様の逆転劇と福音の拡散>

8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。
8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。
8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。

ここには、聖霊に導かれた人たち、神様の逆転劇と福音の拡散があります。
ステパノの死によって、エルサレムの教会には激しい大迫害が巻き起こりました。
神様を冒涜するクリスチャンを迫害することが律法を守る正義だと誤解していたサウロ。
彼は家々に押し入り、クリスチャンを引きずり出し牢に送り、教会を荒らし回りました。
人間の目には、教会の完全な敗北ですが、しかし、神様のご計画はここで終わりません。

8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。

クリスチャンたちは迫害によって各地に逃げ惑ったのではありません、
「赦しの福音」を携えて、行く先々でキリストを宣べ伝えたのです。
エルサレムで生まれ、そこに留まっていた教会でしたが。
この迫害をきっかけに国境を越え、サマリアへ、そして全世界へと広がっていくのです。
そしてステパノが命をかけて遺したあの「赦しの祈り」。
それは上着の番をしていた青年サウロの魂にも深く突き刺さる種となりました。
のちにサウロは「自分のような大罪人が、キリストの圧倒的な憐れみによって赦された」という驚くべき体験をします。
それが先ほどのサウロのダマスコでの経験でありました。
そうして彼は赦しの福音に生きる伝道者パウロへと変えられていくのです。
ステパノの赦しの祈りは、伝道者パウロという実を結んだのです。

<罪しの福音>

ここまで記事を追って見ました。
ステパノの祈り「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。
改めまして、なぜ彼は、自分に敵する人たちを赦し、さらに神様にその人たちを赦してくださいとまでのとりなしの祈ることができたのでしょうか。
それは「私が罪人であったとき先に神様が私を赦してくださった」という福音。
神様の赦しの福音に生かれていたからに違いないでしょう。

私たちは誰かに傷つけられたり、裏切られたりしたとき、その相手を簡単に赦すことができるでしょうか。
私たち人間の本性は、受けた痛みに対して「同じだけの報復」を、あるいは「それ以上の憎しみ」を抱くものです。
しかし、2千年に渡り世界に告げてきた福音の核心には、私たちの人間の常識を根底から覆す「赦し」があります。

「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」
彼の祈りは、私たちに、「あなたはすでに、これほどまでに大きなキリストの赦しの中に生かされている」という事実に目を向けさせてくれます。
私たちは日々、家庭や職場、人間関係の中で、理不尽な言葉や悪意といういわば「石」を投げつけられることがあることでしょう。
心が怒りや傷でいっぱいになるとき、まず静かに天を見上げましょう。
あなたのために立ち上がり、両手で包み込まれる主イエスを見つめ、祈りましょう。
「主よ、私は傷ついています。しかし、あなたの十字架の赦しを受け取ります」と。
キリストの愛に満たされるとき、私たちは自分の力ではなく、主の愛によって、相手を憐れみ、祈る一歩を踏み出すことができます。
神様は、あなたのその小さな赦しの姿勢、執り成しの祈りを決して無駄にはされません。
あなたの姿を通し、誰かの人生に神様の救いと「赦しの福音」が届くようになるのです。

ご一緒に7章60節をお読みしましょう。

7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。

まだ罪人であった私たちが先に赦されたという福音に生きたステパノ。
私たちも日々、主イエスを見上げ、その愛によって人を赦す一歩を踏み出しましょう。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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