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箴言6章7~9節 「決して満たされない心」

箴言6章7節「人の苦労はみな、自分の口のためである。しかし、その貪欲は決して満たされない。」

 人は食べるために苦労をします。苦労の程度の差はありますが、人の欲望は限りなく、もうこれで十分となっている人がどれほどいるでしょうか。もっとパンをもっと富と名誉を、もっと多くもっと豊かにと、人の欲望は限りがありません。いつになったら心の満足を得るのでしょうか。自分の欲のために生きる人の心はうつろで、安らぎがなく満たされない心となっています。

 また、私たちが人生が死で終わってしまうと考えるなら、結局、賢くあることも知恵の貯えも意味がなく人生に満足はありません。

箴言6章8~9節「知恵ある者は、愚かな者より何がまさっていよう。人々の前での生き方を知っている貧しい人も、何がまさっていよう。目が見るところは、心のあこがれることにまさる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」

 いつ何が起きるか予測ができない現代、人生は「つかの間」であることを知りながら、今あるもので満足ができないのも人の常なのでしょう。しかし、私たちは知ることができます。本当の満足をもたらす解決を。それはキリストのうちに見出すことができます。キリストは「私が道であり、真理であり、いのちなのです。」とおっしゃいました。キリストには本当の満足への道があり、死を打ち破るいのちがあり、何が起きても揺るがない真理があるのです。

 私たちに満足はあるでしょうか。なかったとしたら、また、偽りの満足だとしたら、そのことは私たちをキリストに導かずにはおかないでしょう。
 

 

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