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悔い改めによるシャローム(礼拝メッセージ)

マタイの福音書24章34節~39節
24:34 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
24:36 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
24:37 人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。
24:38 洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
24:39 洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。

父・キリスト・聖霊である神様、主に愛されている皆様お一人、お一人。
残暑大変厳しい中、いかがお過ごしでしょうか、お体お大事になさってください。
8月の3週目となりましたが、この国ではお盆のシーズン。
私たちは人の死と命、死んだ人、生きている人、懐かしい人のことを考えさせられます。
また昨日15日は、この日本の国の敗戦の日。
戦争と平和、私たちはそうしたことをも考えさせられます。
そうして私たち人生のおける平安や世の平和を求める、そんなシーズンです。
先週は聖書が私たちに教える「シャローム(平和・平安)」でした。
それは単に争い、戦争がない、心騒がされることがないということではない。
全ての物事が、神様が創造された本来あるべき完全な姿に整っている状態。
それは父・キリスト・聖霊なる神様、主から私たち人に注がれる恵みです。
今日は、先週に続いてシャロームに関わることをご一緒に聖書から考えてみましょう。
先ほどの「本当にあった洪水」のメッセージ。
主イエスがノアの時代の洪水に言及されているところを私、取り上げます。
そこを手掛かりとして、私、「神様への悔い改め」という視点で、「悔い改めによるシャローム」というタイトルで語らせていただきたいと思います。
34節から37節。

24:34 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
24:36 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
24:37 人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。

エルサレム近郊、神殿の見えるオリーブ山。
そこで主イエスは弟子たちの「世の終りのしるしは何ですか」の問いに答えられました。
そして最後に「まことに、まことに」と大事なことをおっしゃいます。
それが、司会者が読んでくださったマタイの福音書24章34節から39節です。
イエスが語られたこと、世の終りは必ず実現すること。
その時、イエスはこの世にお姿を現わされますが、いつかは父なる神様だけがご存知であること。そしてノアの時代の洪水のように人々の日常の暮らしの中で突然とやってくること。そのことを弟子たちに語られています。
なぜイエスは、「世の終り」がいつかを知らないとおっしゃったのか。
この時、イエスのおことばを聞いていた使徒ペテロは、後に彼の手紙の中で記します。すペテロの手紙第2の3章9節。

3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

世の終りが遅いのは、父・キリスト・聖霊である主、神様のご忍耐である。
一人でも多くの人が神様に悔い改め、滅びから救われるように、それが主の御心である。
そうしたことです。
先ほどの「本当にあった洪水」
ノアが神様のご指示通り箱舟をつくり、生き物を集め、滅びの洪水が起こる。
その間には、長い時間があったことです。
その時の人々の心の状態、社会の状態は創世記6章5節に記されています。

主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。

その時代にあってノアの行動は、人々に神様に立ち返る悔い改めを証しするものでした。
38節から39節。

24:38 洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
24:39 洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。
主イエスは、世の終りをノアの時代の洪水を例に挙げて説明されていらっしゃいます。
ノアの時代、人々は食べて、飲んで、めとって、嫁いでいました。
それ自体は悪いことではありません。
しかし人々は、日常に溺れるあまり神様を完全に無視していました。
そして神様がもはや見過ごすことができないほどまでに人々の悪は増大したのです。
イエスもこのノアの時代の様子について語られ、強い警告を与えておられます。

ノアの時代の人々が全て凶悪な犯罪者ばかりだったということではなかったでしょう。
最大の過ちは、神様の警告を無視し、「目の前の日常」に埋没してしまった。
その結果、悪が増大し、暴虐が満ちた、そうしたことではなかったでしょうか。
神様とのつながりを失った心に、社会に真のシャローム(平和・平安)はありません。
父・キリスト・聖霊であるお方ご自身がシャロームであるからです。
本当の神様を忘れた人間の心は、エゴと不安、そして争いに支配されてしまいます。
現代の私たちも同じではないでしょうか。
「忙しいから」「自分のことで精一杯だから」と神様を後回してしまう。
そうする時、私たちの心からもシャロームが消え去り、焦燥感が支配し始めます。
神様は、私たちがその心の渇きに気づき、ご自身のもとへ立ち返る、悔い改めるのを、今も忍耐強く待っておられることです。
ノアは妻と、息子たち夫婦ともに洪水の大水を避けるために箱舟に入りました。
主イエスのおことばを聞いたペテロは自らの手紙の中で記しています。
ペテロの手紙第一の3章21節。

3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。

ノアの家族が水を通って救われた。
ペテロは、それが今の私たちを救う「バプテスマ=洗礼の型」であると語ります。
洗礼は、一度水の中に沈み、再び上がってくる「死と新たないのち」を表しています。
本当の「悔い改め」とは、神様を無視して生きてきた「古い自分」に死ぬことです。
自分の力だけで自分のいのちを、人生を支配し、自分の願望を満たすためだけに生きる。
しかし「自己中心」のいのち、生き方は、やがてすべてを失います。
本当の悔い改めとは、その古いいのち、自分、生き方に一度死ぬことなのです。
そこには自分の力では作り出せない、神様の圧倒的なシャロームが流れ込み始めます。
洪水という激しい裁きが地を覆ったとき、自らの力で泳ぎ切れた人はいませんでした。
私たちも自らの善行や実績で人生の嵐を泳ぎ切り、シャロームを得ることはできません。
ノアの時代、唯一の救いは、神様が用意された「箱舟の中にいること」でした。
そして現代の私たちにとっての箱舟こそイエス・キリストです。
悔い改めとは、自分の力で泳ぐのをやめ、キリストという箱舟に全て委ねることです。
十字架と復活のキリストが、神様と私たちとの敵対関係を終わらせ、永遠の平和をもたらしてくださったからです。
イエスが自分自身のいのちを十字架で失ってくださったからこそ、私たちはこの箱舟の中で、永遠に保たれる新しいいのちとシャロームをいただくことができるのです。
ノアの時代、人々は雨が降る瞬間まで神様を嘲笑い、日常の楽しみに埋没していました。
「洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。」
イエスが語られた通り、気がついたときには扉は閉まっていました。
神様は今も、あなたに対して忍耐強く手を広げ、「わたしが用意した救いの箱舟、キリストのシャロームに入りなさい」と招いておられます。
この招きに応え、古い自分に別れを告げ、キリストと共に歩む新しいいのちの歩みへと、今、一歩を踏み出しましょう。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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