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「恵みのいのち」(礼拝メッセージ)

ローマ人への手紙6章17節~23節
6:17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となりました。
6:19 あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。
6:20 あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。
6:21 ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。
6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。
6:23 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

先ほど私たちは創世記3章から「人の堕落」のメッセージを共にいただきました。
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(6章23節)
私たち「人の堕落」で終わるのではない、その回復の希望が示されたことです。
今日の私の説教題、この聖書のおことばを中心として「恵みのいのち」といたします。
もう少し、このおことばを深掘して理解してみたいと思っています。
ローマ人への手紙。
宣教師パウロがローマにある教会の信徒の人たちに向けて書いた手紙。
それはイエスをキリストと信じる全ての人、今の私たちへのメッセージでもあります。
23節に行きつくまでの17節からの記事。
ここにはアダムとエバ由来の人の堕落とキリストによる人の回復が記されています。
今日このところから私たちが共に覚えたこと。
神様は私たちを罪から救い出し、義へ向かう歩みに導き、恵みのいのちをくださる。
そのことです。
それではまずご一緒に記事を追ってみましょう。

<罪の奴隷から義の奴隷へ>
17節から21節
6:17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となりました。
6:19 あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。
6:20 あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。
6:21 ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。

神様に素晴らしく造られたアダムとエバ。
しかし神様のおことばに従わず「善悪の木」の実を食べ、そして手に入れたもの。
それは神様からの自由ではなく、神様に背き、的外れに生きる罪の生き方でした。
パウロは、それを「罪の奴隷」と表現しています。
神様の御考えに背く罪、それは私たち人を「自由」をくれるように見えます。
けれども厳しい現実、罪は私たちの心を縛り、行動をゆがめ、最後には死へと導きます。
私たち人の生き方、突き詰めると「罪の奴隷」か「義の奴隷」のどちらかとなります。
私たち人は「罪の奴隷」でも「義の奴隷」でもありませんという中立の場には立てない。
主人をどちらにするか、そこが肝心、大事なところです。
もちろんパウロは、「義の奴隷」になることを私たちに勧めています。

6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。

堕落したアダムとエバ、私たち人は神様から隠れ、恐れ、逃げるものとなりました。
しかし感謝すべきことに神様はそんな私たち人を救いのご計画を立てられました。
御子イエスが私たち人の罪の身代わりとなり、赦しを、救いを与えるキリストの恵み。
神様への背きの罪を悔い改めキリストの福音を信じる人の心に住まわれる聖霊なるお方。
聖霊に導かれ、神様のおことばに聴いて歩んでいく生き方。
パウロは、それを「罪からの解放」「神の奴隷」「聖潔に進む」と表現し勧めています。
ここでの「義の奴隷」とは神様のご愛に自分自身を委ねることです。
強いられてそうするのではありません。
それは神様のご愛に素直に応答する姿勢のことです。
義である神様に仕えることで、私たち人の人格が変えられ、行動が整えられ、聖さへ成長していく。
もしも「義の奴隷」らしくなく、「罪の奴隷」のように振舞ってしまったら。
私たちの内に住まれる聖霊は、聖書のみことば、私たちの良心に訴えかけて、「これ神様が喜ばれない罪ですよ」と罪を示してくださいます。
そうしたらそれに応じて、素直にそれを認めて悔い改めていく。
義である神様に仕え、人格が変えられ、行動が整えられ、聖さへ成長していく。
それは自ら努力で自分を清めるではなく、神様の力が働いて私たち人が変えられていく。
それが神様の恵み、いのちに至る生き方です。

<罪の報酬と神様の賜物>
そして23節の結論、クライマックスになっています。

6:23 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ここでは2つの結果がはっきりと対比されて記されています。
罪かからの報酬、神様から離れた私たち人の努力、稼ぐものの結果は死。
そして神様の賜物、神様から受け取るだけのものの結果は永遠のいのち。
パウロは「報酬」「賜物」という言葉の違いで、キリストの福音の恵みを表しています。
彼は大変はっきりと私たちにそれを示しています。

<今日の私たちへのメッセージ>
ここまで記事を追って考えてみました。
本当の自由とは神様に従うことから始まります。
世の自由とは人が思うままに生きることですが聖書の自由は神様の愛に生きる自由です。
人生の主人を誰にするかで行き先は決まります。
神様に背く罪に仕えるか、それとも神様の義に仕えるか。
その選択が私たちの人生の生き方、方向を決めます。
そして永遠のいのちは賜物であり、私たち人の努力の報酬ではありません。
神様は、私たち人へのご愛ゆえに、キリストを通して無償で与えてくださいます。
ご一緒に23節を味わいながらご一緒にお読みしましょう。

6:23罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

キリストの恵みにより人は罪から解放され、義へ導かれる新しい歩みが始まります。
私たち人の弱さの中でも神様はそばおられ、いのちへ向かう道を示してくださっています
永遠のいのちは報酬ではなく、神様の恵みの賜物です。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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