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人の思いと主のご計画(礼拝メッセージ)

箴言 19章21節
19:21 人の心には多くの思いがある。しかし、【主】の計画こそが実現する。

私たちは皆、人生の中でたくさんの「計画」を立てて生きています。
「今週はこれをしよう」という一週間のスケジュールがあります。
若い人ですと将来の生活、仕事、こんな目標の達成のためと計画を立てます。
若くなくても先の計画はいろいろと立てます。
私たちは常に未来を思い描き、そのために準備をし、努力を重ねます。
目標を持ち、計画を立てて誠実に生きることは、とても素晴らしく、大切なことです。
しかし、私たちの現実は、私たちの計画通りに進むとは限りません。
どれほど入念に準備をし、どれほど熱心に祈り、どれほど真面目に努力を重ねても。
私たちの思いもよらないことで、その計画が突然停止、白紙になることもあるものです。
突然の病気やケガ、期せぬ挫折、人間関係の問題発生、あるいは環境の激変。
そんな時、私たちは深く失望し、焦り、不安に襲われることもあります。
「どうしてこんなことに」「私のこれまでの努力や祈りは一体何だったのか」。
暗闇の中に放り出されたような気持ちになることもあるかもしれません。

箴言19章21節。
19:21 人の心には多くの思いがある。しかし、【主】の計画こそが実現する。

このことばは、人の計画は無駄、努力など意味がないと言っているのではありません。
決して絶望や諦めではありません、むしろその真逆です。
私たちの立てる不確かな計画よりも、はるかに確かで、揺らぐことのない「神様の最善のご計画」が今も私たちの人生に動いている。
そうした大きな慰めと希望のメッセージなのです。
今日、私たちはこのことばを出発点として、「自分の計画が思い通りにならない時、どのように神様を信頼し、歩み出せばいいか」を新約聖書の個所を加えて、共に受け取らせていただきましょう。

まず第1は、神様の御心に委ねるということです。
私たち人が立てる計画・思いと、神様の御心。
この二つの間で激しく葛藤し、神様に完全な信頼をもって全てを委ねた人の姿。
私たちはそれを主イエス・キリストの姿に見ることができます。
イエスが十字架にかけられる前夜、ゲッセマネの園で必死に祈られた場面です。

ルカによる福音書22章42節。
22:42 「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」

イエスは「この杯=十字架の苦しみを取り去ってください」率直に祈っておられます。
肉体的苦痛、そして何よりも、全人類の罪を背負い父なる神様から見捨てられる。
その耐えがたい痛みを避けたい、それは主イエスの心の叫びでいらっしゃいました
私たちは苦しい時、正直に「助けてください」と神様に祈って良いのです。
しかし、イエスの祈りは、自分の願いを押し通すところでは終わりませんでした。

「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」

ここに、確かに私たちが学ぶべき最高の信仰の姿勢があります。
イエスは、人としてのご自身の願いと神様の救いご計画がぶつかった時、人としての願いを押し通そうとはなさらず、父なる神様に信頼し、ご自身を「委ねられた」のです。
目前の苦しみを超えた向こう側、全人類を救う父なる神様の大計画を信頼されたのです。
私たちの人生でも、これと全く同じ葛藤が起こります。
私たちが「こうなってほしい」と切に願う計画が叶わない時、私たちは「神様に拒絶された」「祈りが聞き届けられなかった」と感じてしまうことがあります。
しかし、決してそうではありません。私たちの願いに「NO」という答えが返ってくる時、あるいは「待ちなさい」と言われる時、それは神様が私たちを拒んでいるのではなく、私たちの目にはまだ見えない、より大きな、より素晴らしい最善のご計画へと私たちを導いておられるサインなのです。
主イエスは父なる神様の御心に全て委ねられ、そこに復活の栄光が成し遂げられました。
私たちも自ら計画を手放し、神様に委ねる時、神様の確かな御心が私たちの歩みに現れ始めるのです。

第2は、私たちの内に神様が願い、志を起こさせてくださるということです。
神様に自らの計画を手放し、神様に全てを委ねるのが大事。
しかし、そうは言っても、私たちは弱い存在です。
「自分の計画を手放して、神様の御心に従いましょう」と言われても。
「そんな強い信仰は持てない」「自分の思いにこだわってしまう」と考えてしまう。
それが私たちの正直な本音ではないでしょうか。
しかし聖書は、私たちが神様の御心を求めようとするその「小さな思い」さえも、神様がスタートさせてくださるのだと語っています。
ピリピ人への手紙2章13節を見てみましょう。

2:13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。

私たちが、人生の行き詰まりの中で「神様、私の思い通りにいかなかったけれど、それでもあなたの御心に従いたいです」と心の中で、祈りの中で願う。
それは自分だけの力で思いついたことではありません。
神様が私たちの心の内側に優しく働きかけ、その志を立てさせてくだっているのです。
素晴らしい志を立たせてくださるのです。
自分の計画が崩れて途方に暮れる時、そこで「やはり神様を信頼したい」。
そうした思いが少しでも沸いてくるなら、それは既に神様があなたの内で働き始めておられる証拠です。
神様はまず私たちに「御心を行いたい」という志を与え、優しく導いてくださいます。

第3は、神様が私たちに力を与え、御心を行わせてくださるということです。
神様は私たちの中に新しい志を起こさせてくださるだけではありません。
さらにそれを最後まで成し遂げる「力」と「恵み」をも惜しみなく注いでくださいます。
その約束が、ヘブル人への手紙13章21節に記されています。

13:21 あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。(世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。)

神様は私たちに、「あなたの中に願いを起こしてあげたから、あとは自分の力だけで頑張って、私の計画を達成しなさい」と突き放すようなことはなさいません。
私たちが「神様、あなたの御心に従いたいけれど、今の私には力が足りません」と率直に祈る時、聖霊なる神様が私たちの心を満たし、従うための勇気、耐え忍ぶ力、そして必要な環境や助け手をすべて、与えてくださり、行わせてくださるのです。
クリスチャンの歩みは、自らの意志の強さ、能力の高さで神様のご計画を達成していく「自己努力の歩み」ではありません。
私たちの内に働き、志を起こさせ、必要な力をその都度与えてくださる神様に、ただ「信頼して一歩をゆだねていく歩み」です。
自分の思い通りにいかない厳しい現実。
その中で「神様、私の計画は壊れてしまいました。しかし、あなたの御心が成るために、今私にできる小さな一歩を教えてください」と祈る。
その時、神様は必ず、内側から私たちを新しく満たし、歩む力を与えてくださいます。
私たちの無力さは、神様の全能の力が現れるいわば所となるのです。
箴言19章21節を共にお読みして、もう一度立ち戻ってみましょう。

19:21 人の心には多くの思いがある。しかし、【主】の計画こそが実現する。

人の計画は、時代の変化やトラブル、健康の衰えなど簡単に崩れてしまう脆いものです。しかしあなたを愛し、あなたの全てを知っておられる、あなたの主である神様のご計画。それは何があっても堅く立ち、決して変わることがありません。
今、私たち、生活の中で、計画通りに進まずに悩んでいること、長年祈っても答えが得られないと感じていること、人生の行く手が見えなくなっていることがあるならば、どうかこのことを心に刻んでいきましょう。
あなたの計画は止まっても、神様のご計画は一歩も立ち止まっていません。
むしろ私たちが自ら計画を手放し、神様に委ねる時、神様の確かなご計画が私たちの歩みに現れ始めるのです。
イエス様がゲッセマネの園で「御心のままに」と委ねられたように、そしてピリピ書やヘブル書が約束しているように、神様が私たちの心に志を起こさせ、歩むための必要な力をすべて注いでくださることを信じましょう。
今日、私たちの計画を一度、すべてを知っておられる神様の愛の御手にお返ししようではありませんか。
私たちの歩みの上に、神様の最善の導きが豊かに、そして力強く現れること信じて。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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