top of page

主の使いのように(礼拝メッセージ)

神様が愛しておられる皆様お一人お一人、猛暑ですがいかがお過ごしでしょうか。
マタイの福音書16章では、イエスが弟子たちにご自分の尋ねる有名な場面があります。
「人々は、人の子=私のことを何と言っていますか。」
このとき弟子たちは、当時の世間の噂として答えています。

「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」

数々の奇跡、病のいやしを行うイエスの姿を見た民衆。
「強力な奇跡を行う預言者エリヤが天から戻ってきた」と考える人もいました。
エリヤは、イスラエルが北と南に分裂していた時代の預言者。
当時、北イスラエルで王妃イゼベルとアハブ王が進める宗教政策と闘った人でした。
邪悪を極めたバアル、また女神アシュタロテの偶像の神との闘いは、熾烈を極めました。
主の導きと主がくださる賜物によって、大活躍、数々の勝利を収めます。
しかし北イスラエルの宗教政策は変わらず、王妃イゼベルはエリヤの命を狙います。
今日、私が取り上げます聖書の記事。
それは命を狙われたエリヤがユダからホレブ山ホレブ=シナイ山に向かう旅の記事です。
この記事を通して今日ともに覚えたいこと、それは「いたわり」ということです。
「いたわり」ということ。
厳しい夏の暑さが続き、私たちの体だけでなく心も消耗しやすくなっています。
「なんとなく体が重い」「いつもなら流せることにイライラしてしまう」。
そうしたことはないでしょうか。少なくともこの私はそうです。
暑さだけでなく、今まで少しずつ貯め込んでいっているストレス、重荷もあることです。
貯め込まないで、ときどきそれを出るとよいのですが、ため込んでしまう。
雨水を貯めるためのタンク、時々使わないと溢れ出すように、限界に達してしまう。
そんなことが私たち人の世でたくさん起こり、また私たちも例外ではないでしょう。
心が燃え尽きる=バーンアウト、適応障害やうつ病、体の病気をも引き起こします。
無気力、電池切れ、精根尽き果てた、最近では「心が折れた」という状態。
私たちの歩みの中、多かれ、少なかれ、程度の差がれ、誰しもが経験あることでしょう。
そこで私たちが欲しくなるのは「いたわり」ではないでしょうか。
預言者エリヤも、心身ともに完全に限界を迎えていました。
彼は直前にカルメル山で偽預言者たちに大勝利を収めました。
しかし王妃イゼベルから命を狙われるや、恐怖と疲れから一転して絶望します。
3節、4節。

19:3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
19:4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」

北イスラエルから南ユダ、別の国に逃げたエリヤ。
しかし当時、北と南は縁戚関係を結んでおり、北の影響力は南にも及んでおりました。
南ユダでも安心していられないエリヤは、ユダのベエル・シェバに若い従者を残します。
自分と一緒にいると危ないからお別れということであったでしょう。
そして荒野に入っていきます。
荒野では貴重なマメ科エニシダの木の下、強い日差しを避けて座り、死を願うエリヤ。
どんなに信仰深く、これまで一生懸命奉仕や仕事に励んできた人でも。
環境の厳しさやプレッシャーが重なれば、突然「心のバッテリー」が切れてしまう。
そうしたことがあるものです。
そこで私たちにとって必要なものは「いたわり」ではないでしょうか。
限界を迎えて「もう十分です。私の命を取ってください」と祈り、寝込むエリヤ。
神様がどのよう接したかに目を向けてみましょう。

19:5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
19:6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
19:7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。

私ここには、3つの「いたわり」があるように思います。
まず第1は 責めずに、ただ「そっと触れて」くださる「いたわり」です。
「なぜわたしを信じないのか」「もっと祈りなさい」。
神様は、そんな風にエリヤを責めることはなさいませんでした。
5節、7節に「彼に触れ」とあります。
最初になされたのは、御使い=主の使いを通して「そっと触れる」ことでした。
ことばではなく、傷ついた心に寄り添う、優しいタッチです。
神様は私たちの弱さを責める方ではなく、まずを触れてくださる方です。
主イエスはおっしゃったことです。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)

第2は、具体的な「必要(肉体のケア)」を満たしてくださる「いたわり」です。
6節。
エリヤが目を覚ますと、枕元には「焼石で焼いたパンと水の入った瓶」がありました。
神様は、私たちの心、霊的な状態だけでなく肉体の疲れや飢えも気を留めておられます。
とても大切に思ってくださっています。
しっかり食べて、ぐっすり眠ることは、決して怠けではありません。
神様が備えてくださる大切な「癒しのプロセス」です。
復活された主イエスは自信喪失した使徒たちに、朝食を用意し声をかけられたことです。

「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」(ヨハネ21:5 )

第3は、私たちの限界をご存知で、気長く待ってくださる、「いたわり」です。
エリヤは一度食べてまた寝てしまいます。
しかし神様は二度目も主の使いを彼に送ります。

19:7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。

主の使いは、同じように優しく彼に触れます。
そして「起きて食べよ。旅の道は長いから」と言いました。
神様は、私たちが一瞬で立ち上がれないことを知っておられます。
「まだ歩けないのか」と急かすことはなさいません。
私たちが回復するまで、何度でも必要な恵みを差し出し、気長く待ってくださるのです。
ここでの神様のエリヤへの「いたわり」。
それは責めずそっと触れ、必要を満たし、限界を見て気長に待つ、「いたわり」です。
この神様の「いたわり」を、私たちはどう受け取っていったら良いでしょうか。
「私は、預言者エリヤのように神様のために大活躍はしていない。だから神様は、わたしをいたわってくださるはずはない。」
謙遜な人は、そう思うかもしれません。
しかし主である神様は世の全ての人の全ての所業、善と悪、功と罪を全てご存知です。
その上で神様は全ての人を愛し、背きの罪を認めお詫びした人を赦し、救うお方です。
けれども父・キリスト・聖霊である主を信じるあなた。
あなたは御国の民、父なる神の子、キリストの弟子であることです。
主を愛し人々を愛し、主のみこころに沿って生きることに苦闘するあなたをご存知です。
そのあなたの苦闘、疲れ、燃え尽きに、主は「いたわり」」をくださいます。
あなたを責めずそっと触れ、必要を満たし、限界を見て気長に待ってくださるのです。
疲れるときも、燃え尽きることもある私たち。
私たち、疲れているときは、まずその弱さを隠さず、エリヤのように「主よ、疲れました」と神様の前に差し出しましょう。
燃え尽きたときは、「主よ。私は燃え尽きました」と差し出しましょう。
イエスの弟子としてキリストの御名で祈りましょう。
そしてみことばを通し、私たちの渇いた心を聖霊なるお方に触れていただき潤していただきましょう。
人を用いても働いてくださる主、そうしてあなたに送られた人の助けも借りましょう。
罪悪感を持たずに、神様が与えてくださる休息、睡眠や食事、静かな時間を「恵み」。
それを受け取っていきましょう。
神様は直接パンを降らせるのではなく主の使い=御使いを通しエリヤをケアされました。
キリストを信じる私たちは、誰でもイエスの弟子です。
私たちは、いわば「主の使い」のような奉仕にも召されていることです。
疲れた人、燃え尽きた人に、正論をぶつけ、批判することはやめておきましょう。
それよりは、そっとより添い、気長に接していきましょう。
そして主の使いがエリヤにパンと水を持ってきたように。
そのような具体的な小さな優しさを差し出していく配慮も考えていきましょう。
兄妹姉妹である教会の交わりにおいても、家族の中においても、置かれている人との関わりにおいても、主の使いのごとく。
エリヤは神様のいたわりによって心身を回復され、その後「四十日四十夜」歩き続けて、神の山ホレブへとたどり着き、新しい使命を授かることとなります。
ご一緒に7節をゆっくりとお読みしましょう。

19:7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。

人生という長い旅路の中、いらいらも、疲れるときも、燃え尽きもある私たち。
主の優しいいたわりに養われて歩みましょう。
そして他者、お互いを思いやりながら、この夏を豊かな恵みの中で歩んでいきましょう。
私たちは主のいたわりに憩い、そして私たちが主の使いのような他の人をいたわる者となっていけますように。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

​住所

​〒327-0821

 

栃木県佐野市高萩町643-4

Tel:(0283)21-0603

 

​アクセス

© 2017 SanooloveCH created by A.Nakabayashi

bottom of page