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パウロが語った福音(礼拝メッセージ)

私たち先ほど「出発の時」のメッセージをともにいたしました。
主イエスのご命令の通り、福音がまだ届いていない地域に福音を届けたい。
その篤い思いを持ったシリアのアンテオケの教会が宣教師を派遣。
宣教師としてサウロ改めパウロ、そしてバルナバの活躍がありました。
使徒の働きでは13章から14章の記事です。
ギプロス島、そして小アジア各地、ピシディアのアンティオキア、イコニオン、リステラでの伝道の様子を私たちは見ました。
私のメッセージは、その中のピシディアのアンティオキアでのこと。
その町にあるユダヤ会堂=シナゴーグでパウロの説教を取り上げさせていただきます。
13章の16節から41節まで、彼の説教がまるまる記されています。
司会者が読んでくださったのは、そのまとめ、締めくくり、核心となるところです。
今日、そこを中心してこのパウロの説教から私たちがともに確認したいこと。
それはキリストの福音、神様の救いの土台になっていること。
私たち人が「義と認められる」いうことです。
「義と認められる」。
それは神様によって私たち人が神様への背きの罪無しとみなされ、罪赦されることです。
人は、残念ながら律法によっては神から義とは認められません。
しかし誰でも十字架と復活のキリストを通しての罪の赦しを信じて義と認められる。
それが福音の土台となっていることです。
まずは、少し記事を追ってみましょう。
36節と37節。

13:36 ダビデは、彼の生きた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。
13:37 しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちて滅びることがありませんでした。

ここは、そこまでパウロが語ったまとめになっています。
16節「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々、聞いてください。」から始まる説教。
イスラエルの主、父なる神様を礼拝し、旧約聖書を学ぶユダヤ会堂。
そこでパウロは神様を信じるイスラエルであるユダヤ人たちと異邦人たちに語りました。
モーセに導かれてエジプト脱出し、約束の地カナンに着いてからの歴史。
パウロはイスラエルのおもに王ダビデのことを語ります。
ダビデは神様から「あなたの子孫から永遠の王が出る」と約束をいただきました。
そして預言者たちはダビデの子孫からキリストが出ることを神様から託されました。
ユダヤ人にとってダビデは、民族の誇り、神様にお仕えした最も偉大な王様です。
しかし、そのダビデも私たちと同じ人、死んで葬られ歴史の人として刻まれました。
けれどもダビデの子孫であるイエスは、父なる神様によってよみがえらされました。
エルサレムの指導者たちは、イエスをキリストと認めず、理解せず、死刑に定めました。
しかし、それによって、皮肉にも預言の通りが成就したのだ。
預言通り父なる神様によみがえらされたイエスこそ、神の御子、救い主キリストです。
そうパウロは説明します。
そして38節、39節となります。

13:38 ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、
13:39 この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。

「 このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです」。
パウロはそう宣言します。
人は生きている限り、そうしたくなくても神様に背く罪を犯してしまう。
それは最初の人アダムとエバ以来、人がどれだけ努力しても解決できない罪との問題。
それが、死からよみがえられたイエス・キリストとお方を通し、通し解決された。
その決定的な知らせです。
モーセを通して神様の民イスラエルに与えられた律法。
人々が律法を守ることで神様に受け入れられように、義と認められることでした。
しかし人は誰しも神様に背いたアダムとエバの子孫、不完全です。
人は律法を完璧に守ることはできないのです。
律法はかえって人間の罪深さを浮き彫りにするものでした。
また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについてパウロは、「信じる者はだれでも、この方によって義と認められる(無罪とされる)」という新しい驚くべき事実を告げます。
神様の民イスラエルという血筋や律法の行いによるではありません。
神様の民イスラエルであるユダヤ人でも、そうでなくても。
ただイエスを信頼することによって、神様の前に誰でもが「正しい者」とされるのです。
ここにイエス・キリストの福音、神様の救いの土台があります。
ここでパウロが語っているのは、「神の恵みによる救いの完成」です。
人が自分の力で神に到達しようとする「律法(行い)の道」は行き止まりです。
けれども神の側からイエスという「救いの道」が与えられています。
パウロは会堂に集まっていた人々に、今やイエスによってもたらされた「完全な赦しと罪からの自由」を受け入れるよう決断を迫っているのです。
この後の40節から42節を見ますと。
彼は預言書(ハバクク書)を引用して警告も語っています。
イエスによって成し遂げられた驚くべき私たち人への恵み。
それを自分のプライドや「行いによる救い」へのこだわりによって拒んではいけないと。

パウロのメッセージ、ここまで記事を追ってみました。
私たちは無意識のうちに、自分自身の中に「独自の律法(ルール)」を作って自分を縛ってしまってはいないでしょうか。
「これくらい出来ていなければ、神様に、周囲の人たちに愛されない」
「また同じ失敗をしてしまった。自分はダメな人間だ」
このように自分の行いや成果で自分の価値を測るとき、私たちは心に平安を失います。
モーセの律法が人を救えなかったように。
私たち人の努力は、私たち人は本当の意味で義(正しい者)にすることはできません。
私たち、失敗や不完全さを感じて落ち込みそうになったら、すぐに思い出しましょう。

この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。(使徒13:39)

このことばを思い起こしましょう。
神様はイエス・キリストのゆえに既にあなたを赦し、義としてくだっています。
私たちはその恵みの中に安心して歩みましょう。
一日一日を父・キリスト・聖霊なる神様に生かされている感謝から始めましょう。
問題や不安が目の前にあるとしても、「キリストは私のために命を捨て、死に打ち勝って、今も生きておられる」という事実に目を留めようではありませんか。
ご一緒に39節をゆっくり味わいながら、共にお読みしましょう。

この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。(使徒13:39)

人は、律法によっては神から義とは認められませんが、十字架と復活のイエスを通しての罪の赦しを信じることで誰でも義と認められる、それが福音です。
もし今日、あなたの心の中に『もっと頑張らなければ神様に愛されないのではないか』という不安や、『自分の過去の失敗は赦されないのではないか』という思い込みがあるなら、それを今、神様の前に手放そうではありませんか。
あなたの行いによってではなく、ただイエス・キリストのゆえに、神様はあなたを『完全に赦し、正しい』と宣言してくださっています。
この驚くべき恵みを、今、ただ信仰によって受け入れようではありませんか。
『主よ、私の努力ではなく、あなたの十字架と復活を信頼します』と。
とともに、静かに心を合わせて祈りましょう。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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