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キリストにある共同体(礼拝メッセージ)

ヘブル人への手紙 9章23節〜28節(マルコによる福音書 14章22節〜26節)

9:23 ですから、天にあるものの写しは、これらのものによってきよめられる必要がありますが、天上にある本体そのものは、それ以上にすぐれたいけにえによって、きよめられる必要があります。
9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます。
9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違い、キリストはご自分を何度も献げるようなことはなさいません。
9:26 もし同じだとしたら、世界の基が据えられたときから、何度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。
9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

父・キリスト・聖霊、私たちの主である神様に愛されている皆様お元気ですか。
こうしてこの会堂で、またカメラ越しに礼拝ともにできて神様に感謝いたします。
この教会では先月30日、ライフラインのDVD収録のメッセージを利用した礼拝でした。
私は、この教会が属する福音伝道ではない教団の茨木県の教会の礼拝に加わりました。
奉仕者ではなく一人のクリスチャン、一人礼拝者としてです。
教理や伝統は福音伝道と大差がない教団の教会はありますが。
信徒数、牧師・専任奉仕者が多く、組織を始め、いろいろ違うところもある教会です。
教会が置かれた状況の中で神様にあって最善の働きを祈ってのそれぞれの教会の工夫。
私にとって大変新鮮で、良い刺激を受けました。
そして当然ですが教団が別でも同じクリスチャンとして礼拝できる恵みに感謝しました。
キリストを信じる私たちは、キリストの血によって贖われた一つの共同体である。
置かれた地域、教会の特徴、そこに集う人たち、いろんな違いがありつつ一つの共同体。
そこで今日は、メッセージで共同体として集められている恵みを、共に考え、味わう。
私、そうさせていただければと思っています。
へブル書から、私、聖餐についてのイエスのおことばを思い浮かべつつ語ってみます。
ヘブル人への手紙が書かれたのは、紀元60年代後半のこと。
エルサレム神殿がローマ軍によって破壊される紀元70年の前だと考えられています。
この手紙が書かれた頃、クリスチャンたちは激しい迫害と社会的孤立の中にありました。
へブル人とはユダヤ人こと、特にユダヤ教からクリスチャンとなったユダヤ人信徒たち。
その人たちは「立派な神殿、大祭司、いけにえの儀式」の伝統を知っています。
かつてのユダヤ教へと逆戻りしそうな、信仰の危機に直面していたのです。
そんな人たちに向けて、著者は語り掛けています。
「目に見える地上の神殿に戻ってはいけません。」「キリストこそが、それらを遥かに超える完全な大祭司であり、完全ないけにえです」と。
この背景を覚え「キリストにある共同体」を3つのポイントにしてみます。

まず第1は、教会はキリストの命を共に受け、契約を結ばれた共同体です。
イエスは、十字架に向かわれる直前、弟子たちと夕食を共にされ、聖餐を行われました。
歴史的には最初に書かれたマルコの福音、14章22節から24節をお読みします。

14:22 さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
14:23 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。
14:24 イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。}

礼拝の中、聖餐式で読まれるマタイとほぼ同じ、皆様聞き慣れていらっしゃることです。
ユダヤ人にとって、神様との約束は「動物の血」によって厳かに結ばれるものでした。
へブル書9章23節。

9:23 ですから、天にあるものの写しは、これらのものによってきよめられる必要がありますが、天上にある本体そのものは、それ以上にすぐれたいけにえによって、きよめられる必要があります。

へブル人の手紙でも、地上の神殿が動物の血によってきよめられたことが語られます。
しかしイエスが差し出されたのは、動物の血ではなくご自身の体、尊い血でした。
イエスの行われた聖餐式。
重要なのは、イエスがパンを「彼らに与え」、杯を「彼らに与えられた」ことです。
そして弟子たちは「みな同じパンを食べ、その杯から飲んだ」のです。
教会は、キリストのいのち、新しい契約の血を共に受け、飲み干した人々の共同体です。私たちは世の試練や孤独の中に置かれても、決して切れることのない「キリストの血」という一つの尊い土台によって結ばれた、神の家族なのです。
第2は、教会は天の聖所と地上の食卓が交わる「礼拝共同体」です。
ユダヤ人クリスチャンは、ユダヤ教側からの迫害を受けていました。
けれども日曜礼拝とともにエルサレム神殿の礼拝、祈りを伝統として続けておりました。
そうしたことではありますが、ヘブル書の記者は宣言します。
24節。

9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます。

私たちが地上で聖餐式を行うとき、単に2千年前の出来事を想像するのではありません。
イエスがパンを裂き、杯を回してくださる恵みの食卓。
それが今まさに天の聖所の大祭司イエス・キリストの恵みと重なり合います。
目に見えるパンとぶどうの飲み物を共に分かち合う。
その時、目に見える地上の教会は、天の聖所の壮大な礼拝へと直結します。
私たちは、すでに罪を完全に赦され、神の御前に大胆に近づくことができる。
その恵みを、一つのパンを分け合うことで共に喜び、分かち合う礼拝共同体なのです。
第3は、教会は主の再臨を終わりの完成を待ち望む「希望の共同体」です。
イエスは聖餐式で、杯を渡された後、一つの大いなる希望の約束をされました。
マルコの14章25節。

14:25 まことに、あなたがたに言います。神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」

ヘブル書9章27節、38節にはこうあります。

9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

死は遅かれ、早かれ、誰にでも平等にやってきます。
そして聖書は、全ての人は死んで終りでなく神様のさばきがあることを教えています。
しかしキリストの体と血を授かった人たち。
イエスを私の主キリストとしている人、人々は、さばきを恐れる必要がありません。
むしろ、主とお会いする日、すなわち「神の国での完成された祝宴」を待ち望む者たちに変えられたのです。
私たちは聖餐式のたび、キリストが十字架の死で私たちの罪をあがない、救いを開いてくださった事実を思い起こすのです。
教会は、やがて来る天の祝宴を先取りし、互いに励まし合って歩む希望の共同体です。
私ごとながら、先々週、他の茨木の他教団の教会の礼拝に加えていただいた私。
実は一つだけとても心残りなことがあります。
それは礼拝の中での聖餐式のパンとぶどう液を受け損なってしまったことです。
広い会堂で司式者に従って男女の若者たちが、パンとぶどう液を会衆の席に届ける分散。
緊張気味の若い男性が席の傍まで近づきました。
その時、私が顔を下に向けていて視線が合わず、受けたい意思表示ができませんでした。
私が座っていたのが、左右に人がいない長椅子の真ん中。
分散の若い方、私をご存知でない方ですので、
「お受けになりますか」と声を掛けるとしても、大きくなってしまいます。
少しお困りになったではと思います。
司式の牧師は当教会と同じ式文で洗礼を受けている人はどなたでもと説明なさいました。
さらには、洗礼を受けていない方の配慮する説明もなさいました。
聖餐はイエスからあなたへの神の国、天の御国での食事へのお招きですと。
キリストの十字架と復活を信じている方は、どなたでも全て祝宴に招かれています。
洗礼で公に信仰を告白なさって、ともにその喜びに与ってください。
また罪人赦された罪人に過ぎず失敗もあり、お詫びも多い私たちではありますが。
既にそのあなたの罪を、先に赦して下さっているイエスです。
祝宴への招きの主の御心を覚え、喜びと感謝をもって、その恵みを受け取ってください。
牧師の説明にとても納得した私、そのメモ書きしていて、聖餐を逃した私でした。
次があるかは、分かりませんが、ともかくとても心残りでありました。
この教会に集う、キリストをあなたの救い主として信じている皆様。
主イエスは、十字架に架かれる前夜、使徒たち一人ひとりにパンと杯を手渡されました。
同じように今日、主は私たち一人ひとりにも「これは私の体、私の血である」と語りかけ、いのちを与えてくださっています。
当時のヘブル人クリスチャンたちがそうでありましたように。
私たちも日々の生活で試練や信仰の揺らぎを経験することがあります。
しかし、聖餐の食卓で私たちは「一人で戦っているのではない」ことを知らされます。
同じキリストの体を受け、同じ杯から飲んだ仲間が隣にいます。
この一週間も、天の聖所で私たちをとりなしてくださる主を仰ぎ見ます。
やがて来る神の国の祝宴を待ち望みます。
そうしてキリストの愛を世に証ししていく共同体として共に歩んでまいりましょう。
ご一緒に28節をお読みしましょう。

9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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