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エレミヤ書5章1~2節「人がいない」

エレミヤ書5章1~2節「エルサレムのちまたを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場で捜して、だれか公義を行ない、真実を求める者を見つけたら、わたしはエルサレムを赦そう。たとい彼らが、『主は生きておられる。』と言っても、実は、彼らは偽って誓っているのだ。」

 人がいない。 人間はたくさんいるけれども、神様を恐れ、真実を求める者はいるか。そう問われ時、「この人がいます」と言える人がいるでしょうか。

 神様はおっしゃいました。エルサレムのちまたを行き巡り「さあ、見て知るがよい。その広場で捜して、だれか公義を行ない、真実を求める者を見つけたら、わたしはエルサレムを赦そう。」遡ってアブラハムの時代、ソドムとゴモラの町は、10人の義人がいなかったので滅んでしまいました。ところがこの時、神様はエルサレムに一人でも義人がいたら赦す、そうおっしゃっています。

 この日本の国にクリスチャンは多くはありません。けれども本当のクリスチャンが一人いたら、その町のために大きな働きをします。本当のクリスチャンが日本にいたら、日本をささえ、日本を守ります。それはどんな軍備や予算をもって日本の防衛に当たるよりも、もっと確かな日本の守りとなります。

 一人の人がどう生きていくか。大勢の人たちよりも、一人がどうであるかを神様は見ておられるのです。一人の真実を求める者がいれば、神様はエルサレムを赦そうとおっしゃっておられます。けれどもイスラエルである人たちは、神様からの戒めをいただきながらも、それを拒んでしまいました。偉い人たちもまた神様の律法を曲げてしまいました。そうしたものを神様はどう赦すことができるでしょうか。

 神様は悪をそのままにされるお方ではありません。罰しなければきよい神様ではありません。神様の厳しさの前に私たちが罰せられずに生きているのは、イエス・キリストを罰することで、私たちを赦してくださるからです。神様が忍耐し、御子を十字架につけて罪の贖いとしてくださっておられます。人は傲慢で悔い改めことが苦手。そこに気がつくか、どうか。神様はどこまでも悔い改めて立ち帰る人を待っておられます。

 神様のお約束は永久不変です。神様の深い配慮の中でこの世界が保たれ、私たが生き、私たちのわざがなされていることを、私たちは忘れてはなりません。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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