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「まだ見ぬ約束を信じて」(礼拝メッセージ)

ヘブル人への手紙 11章7節
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。

私たちは日々、誰もがたくさんの「まだ見ていない未来」に向かって生きています。
しかし、天気予報を見ると午後からの激しい大雨とある。
その時、皆さんはどうさないますか。
「こんなに晴れているんだから、雨なんて降るわけない」と傘を持たずに出かけますか。
それとも、予報を信じて折りたたみ傘をカバンに入れるでしょうか。
おそらく賢明な皆さん、目の前の青空でなく、「予報」を信じて傘を持つでしょう。
私たちは、現在の状況より、信頼できる言葉を信じ、先に行動することもあります。
では、それが「神様のお言葉」となったとき、私たちはどうでしょうか。
「神様がこう言われているから、今は見えなくても従おう」。
そう確信を持って一歩を踏み出せているでしょうか。
先ほど私たち、創世記6章「箱舟をつくれ」のメッセージともにいただき感謝でした。
私、続いてへブル書11章で箱舟をつくったノアについて記された記事を取り上げます。
「まだ見ていない事がら」を信じて生きたノアの歩み。
今日はご一緒に、そこから父・キリスト・聖霊である主とともにある私たちの信仰の歩みを確認してみましょう。

11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。

まず第1はまだ見ていない事柄を信じるということです。
ノアが神様から「大洪水による裁き」の警告を受けた時、その前兆はありませんでした。
当時の人々は神様に全く気に留めず、自分の好き勝手に生き、暴虐が地に満ちました。
ノアの「将来、大洪水が来てすべてが滅ぶ」の言葉に誰も耳を傾けなかったでしょう。
「何を馬鹿なことを言っているのだ」、そう嘲笑ったことでしょうか。
しかし、ノアは違いました。
彼は周囲の状況や、自分のこれまでの経験、あるいは人々の噂話ではなく、神様が語られた、まだ見ていないことを「現実」として受け止めたのです。
聖書が語る信仰とは、自分の目で見て、納得してから動くことではありません。

「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

このヘブル書の11章1節にはそう記されています。
ノアの信仰の第一歩は、神様の語られたお言葉を「事実」として重く受け止める、神様への「恐れかしこみ」の心から始まりました。
第2にすべて神様が命じられたとおり行うということです。
ノアの信仰は「心の中で信じる」というだけでは終わりませんでした。
それが具体的な行動として現れたのです。
「恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り」とあります。
創世記6章22節には、その時のノアの姿がこのように記されています。
「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」
先ほどのメッセージの通り、それはまさに大事業でありました。
その長い長い年月、ノアは毎日、コツコツと箱舟を造り続けたことです。
「本当に全てが沈んでしまうような大洪水なんてあるのだろうか」。
彼には、途中でふとそう疑いたくなる日もあったことでしょうか。
現代の私たちは、車を運転するときカーナビやスマホの地図アプリを使います。
見知らぬ土地を運転中、ナビが突然「50メートル先を右折です」と指示を出します。
しかし、そこは細くて暗い、本当に通り抜けられるのか不安になるような道です。
直進したほうが、広くて綺麗な道が続いています。
その時、私たちはどうするでしょうか。「自分の感覚」を信じて広い道を直進するか、それとも「ナビの言葉」を信じて、一見不安に見える細い道へハンドルを切るか。
今のナビはなかなかに優秀、大抵はナビに従っても大丈夫です。
主である神様には不可能は無い、まさに真理、真実なお方です。
ノアの人生は、まさに完全な「ナビに従う運転」のようでした。
自分の目には、山の上で箱舟を造るなんて不条理、遠回り、無意味に思えたでしょうか。
しかし、ノアは「自分の都合や感覚」で神の命令を選り好みしませんでした。
「すべて神様が命じられたとおりに」行ったのです。
第3に信仰がもたらす「救い」と「義」ということです。
ノアがそのようにして、周囲の目を恐れず、ただ神様のお言葉に「すべて」従い続けた結果、何が起こったでしょうか。
ついに来たその時、神様が言われたとおりに大雨が降り、地上のすべてが水に覆われたとき、ノアが従順に造り上げた箱舟は、ノアとその家族を乗せて、安全に水の上に浮かび上がったのです。
ヘブル書11章7節の後半には、このようにあります。

「その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。」

ノアの従順は、彼一人の命を救っただけではありませんでした。
彼の「まだ見ていない事がら」を信じる歩みによって、彼の家族全員が滅びから救い出されたのです。
ここで「信仰による義を受け継ぐ者となった」とあります。
ここでいう「義」とは何でしょうか。
それは、神様に「あなたは正しい」と認められ、神様との正しい関係に入れることです。では、なぜノアは「正しい人、義なる者」と認められたのでしょうか。
ここに、私たちが誤解してはならない重要なポイントがあります。
まず、ノアが「義」とされたのは、彼が一切の罪を犯さない完璧な人間だったからではあません。
創世記を読み進めると、ノアも大洪水のあとに失敗、弱さを見せる姿が描かれています。彼が「義」とされた決定的な理由は、彼の立派な行いではなく、「まだ見えない神の言葉を100%信頼した、その心」にありました。
そして彼の「義」は、世の流れに流されない決断によって証明されました。
当時の世の中は、神様を無視した生き方が「当たり前」の時代でした。
その中でノアだけが神様の言葉を重く受け止め、長年に渡り箱舟を造り続けました。
「みんながやっているから」ではなく、「神様が言われるから」を第一にする生き方。
これこそが、神様の目に「正しい」と映ったのです。
さらにこのノアが受け継いだ「信仰による義」こそが、やがて来られるイエス・キリストの十字架へとつながる、大きな架け橋となっています。
ノアは、神様の言葉を信じて箱舟に入ることで、滅びから救われ、義とされました。
これは、今を生きる私たちが、目に見えないイエス・キリストの十字架の救いを信じ、キリストという箱舟に入ることで、罪を赦され、神様から「あなたは正しい」と認めていただける恵みの、最も古い見本(ひな型)なのです。
ノアの「義」とは、彼が自分の力で勝ち取った勲章ではありません。
神様の言葉に自らの人生すべて預けた結果、神様からプレゼントされたものでした。
今、私たちが生きているこの世界も、ノアの時代とどこか似てはいないでしょうか。
目に見えるお金、目に見える成功、目に見える安心、それだけを追い求める。
神様のお言葉や、目に見えない永遠の約束など絵空事として軽んじる、そんな風潮。
私たち人の織りなすこと、その人の世は、今も昔もさほど変わりません。
しかし、聖書は今日も、ヘブル11章7節を通して私たちに力強く宣言しています。
本当の信仰とは「まだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで」行動すること。
皆さんのこれからの1週間、目の前には「本当に大丈夫だろうか」と思うような細い道や、周囲からの理解を得られない孤独な戦い、先の見えない不安があるかもしれません。
状況だけを見れば、暗闇のように思えるかもしれません。
私たち、今日、ノアの姿をもう一度心に刻みしょう。
彼はまだ見ていない事がらを信じ、神様のお言葉を「事実」として歩み続けました。
神様のお言葉は、100%信頼できます。
「あなたを愛している、わたしが一緒だ」、おことば通りを受け入れましょう。
「愛しなさい」「赦しなさい」「わたしに信頼して一歩を踏み出しなさい」。
そう命じられたなら、たとえ自分の感情や状況が追いつかなくても、「信仰によって」小さな一歩を踏み出してみませんか。
父・キリスト・聖霊である主は、私たちと、あなたとともにおられます。
主の確かなお約束に信頼し、今週も主と共に新しい一歩を踏み出していきましょう。
ご一緒にへブル書11章7節をお読みしましょう。

11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。

 日本のキリスト教未伝地にキリストの福音を急速に伝える為に、1925年(大正14年)まず本州中央部の群馬、埼玉、栃木の3県より伝道を開始したセントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション(中央日本開拓伝道団、創立者マーガレット・エミー・バーネット師)の働きの結果、各地に起った信者の団体(教会)がそのミッションの教義、信条に基き共同の目的である信仰の純潔を保持し、徳性を養い、福音伝道に奉仕せんが為に結合し、1927年(昭和2年)福音伝道協会を組織した。

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